5月の話になりますが、柏崎市の米山コミセンにて、弁慶の力餅の復刻版が販売されました。
この弁慶力餅ですが、北國街道の中で一番の難所と言われたのが米山三里。そのうちの亀割坂には、かつて「弁慶茶屋」があったと言われています。そこでは、茶屋店主は胞姫神社の演技を語ってお客を呼び寄せ、「白湯」と名物「弁慶の力餅」を出していました。
同地区の伝説によりますと、1187(文治3)年、源義経が兄頼朝に追われ、奥州落ちをする際、北の方が同地区の亀割坂付近で産気づき、胞姫神社に祈願して安産で亀若丸を生んだと伝えられています。この時、義経の供をしていた弁慶が産湯を得るために、つえで掘った井戸が「弁慶の産水井」、ついた餅が「弁慶の力餅」として長く伝わったとも言われています。(柏崎日報様記事一部抜粋)
コメントを残す