こんにちはっ! ほかにねーこて柏崎です。
早速ですがクイズです。↓この建物は名称はなんでしょう?
ヒントは、跨線橋のたもとにあって、ある気象条件の時に私たちの生活を守ってくれているとってもありがたい施設です。
(「こんなの知ってて当たり前だろう」という方もいらっしゃるかと思いますが何卒ご容赦を)
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正解は、柏崎雨水ポンプ場です
外側を囲んでいる「あみあみコンクリ」は芸術的でインパクト強いですよね!
でも、実は私もその正体を正確には分かっていませんでした、、、
そこで活躍してくれたのが本ホームページにも掲載している貴重な資料「おおすてくてくMAP」!
〔以下説明を引用〕
周辺区域に流入する雨水を鵜川へ強制排水する施設。元々、鵜川右岸の柏崎駅周辺及び枇杷島地区は地盤が低く自然排水できず、激特事業の工事後も大雨が降ると鵜川に流れ込む周年の小河川が度々氾濫したため、約54億円をかけて建設された。
鵜川河川激甚災害対策特別緊急整備事業
略して「激特事業」と呼ぶ。1978年に豪雨により鵜川が氾濫して大きな被害が出たため、大久保で大きく蛇行する鵜川を直線化する工事を行った。水道橋公園に激特事業の詳しい説明版がある。
ほほう、激特事業の一環で造られた施設だったんですね。
続いて、水道橋公園にある説明版も見てみましょう
←水道橋公園
(以前、「かしわの大樹」を調査した際に訪れた時の画像から)
うーん、激特事業が大変な規模の工事であることが見て取れます。
そして、新潟県のホームページには当時の水害の様子が分かる資料が残されていました。(↓過去の被害と鵜川ダムのあゆみ)
http://www.pref.niigata.lg.jp/kashiwazaki_seibi/1278370554891.html
柏崎駅が1週間も機能しなかったとは、、、甚大な被害ですね、、、
そういえば、それ以降最近の水害は国道より山側で発生していますが、海側は無事なようですし、激特事業大成功ってことですね。
では、鵜川新河川へ移動して、、、
画像真ん中下の「大洲橋」から上流・下流を撮影して、旧河川との繋ぎ目を探します。
まずは上流、あの辺が旧河川の入口ですねー
で、下流「鵜川橋」のところ。今となっては旧河川の面影は全くありません。
大洲橋の近くには旧鵜川橋の竣工碑がありました。
「昭和29年7月竣功」の銘板もあります。
でもなぜここに?、、、
鵜川橋からはちと離れている気がしますが、昔は公園だったんですかね?
話は元に戻って、柏崎雨水ポンプ場。
実は、ナント、、
改修工事で「あみあみコンクリ」がなくなっていました。(涙)
こうなるようです。
耐震とかの問題でしょうかね、、、個人的にはけっこう好きなデザインだったんでちょっと残念です。
というわけで、今回は「昔からそこにあるけど、あれは一体何なんだろう?」という日常のちょっとした疑問について調査してみました。
そしてやっぱり、昔からずっとあるからにはちゃんとした存在意義としっかりした歴史があって、私たちの生活を守ってくれるとても重要な施設であることが分かりました。
同じようなモノが他にもありそうですよねー
見つけたらまたこちらのサイトで報告します(S)
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