平成22年に発行された「歴史講座報告書 第3弾 安産の神・胞姫さん」を米山地区コミュニティ振興協議会さんより拝領しました。
大正時代からの参拝者数の推移や、参拝者がどこから訪れたのか地域別の集計がされていたりと、大変貴重なデータが多く、非常に興味深い内容です。
チームでは当初、「おぎゃー 柏崎子宝物語」というテーマを掲げ、柏崎の子授け・安産にまつわるコンテンツを集約して情報を発信し、観光客を呼び込みつつ、人口減少・少子化に歯止めをかけよう!という活動を行う構想を練っていました。
そんな中で2016.4.2に当サイトのトップ画像に使わせていただいている米山地区の「胞姫神社」(柏崎市大字上輪329-1)をチームで訪れた時の記録です。
国道8号線の胞姫橋に差し掛かったところの封鎖されている道路の一角に車を止め、参道入り口へと進みます。
入り口の案内板には以下の説明があります。
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安産の神として県下に知られる当社は、各地から大勢の参拝者が訪れる。産院での出産が普及する以前、「胞姫さん」に献灯された短いロウソクを貰い受け、出産の際に点せば「産が軽い」とされた。時代は変わっても、安産を祈る切実な思いは胞姫神社への篤い信仰として今も受け継がれている。
胞姫神社の「胞」とは、胞衣(えな:胎児を包む膜や胎盤のこと)を意味する。近世紀には「胞衣姫大明神」とも記された。縁起(天保3年、1832)には、その名の由来を源義経の嫡男出産伝承との関連で説いている。
文治二年(1186)、義経一行は直江津から海路奥州へ下向の折、嵐にあってやむなく当地へ上陸。この時、急に北の方(正室)が産気づき、仮の産所を設けて嫡男亀若丸を出産した。同行の弁慶は無事出産の礼に当地鎮守境内に亀若丸の胞衣を納め、あわせて源氏の氏神である諏訪・八幡の両神を祀った。これが縁起の語る当社の起こりである。
付近には、産所跡の「亀割坂」や弁慶が金剛杖を突いて湧出させた「弁慶の産清水(うぶしみず)」などの地名・遺跡も残る。シロダモやスダジイなど豊かな照葉樹が繁る社叢の向こうには、霊峰・米山が聳えている。
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参道が30mほど続きます。
左手は崖になっていますが、振り返ると「上輪大橋」を一望できる清々しい景観が広がっています。
そして、少し急な階段を登り、、、
本堂に到着しました。境内は何とも厳かなたたずまいです。
この日は神主さまご不在で、残念ながら本殿には入れませんでしたが、付近を散策して落ち着いた雰囲気に癒されてきました。
(後日、神主さまがおられる時にチームメンバーが再訪した際の記録はFacebook ページにあります。)
お参りを済ませまして、案内板にもある別の「義経伝説」にまつわるスポットへと向かいます。
北の方が亀若丸を出産する際、弁慶が金剛杖をついて湧き上がらせたと言われている「弁慶の産水井戸」です。胞姫神社から柏崎方面へ向かって500mほどのところに所在しています。
蓋を開けてみると澄んだ水が湧いていました。しかし、道案内をしていただいた地元の方曰く、「今は水位が下がっている状態」とのことでした。
そして、近くにあるはずのもう一つの「義経伝説」スポットを探して道なき道を進み、急斜面を駆け上がり、断崖絶壁を通り抜けた末に、、、
ありました!「亀若丸誕生の碑」
少し風化が進んでいますが、ここが伝説の生まれた地だと考えると感慨深いものがあります。
視察報告は以上になりますが、米山地区にはまだまだ沢山の歴史・文化財が点在しています。(当サイトに「米山地区お宝探訪マップPart1、Part2」を掲載させていただいています。)
また、米山コミセンさんでは、「観光ガイドさん」のあっせん(料金無料2名から)もされていますので、ご興味のある方は是非ご利用されてみてはいかがでしょうか。
↓かしわざき観光ガイド「米山地区お宝探訪コース」(柏崎市HPより)↓
https://www.city.kashiwazaki.lg.jp/sightseeing/kanko/osusume/documents/yoneyama1.pdf