米山方面
「米山方面」では、画面左下に木々に囲まれた胞姫神社が見えます。
また、 撮影した日は天気が良くて風もあまりなく、海の透明度が高かったため上輪海水浴場海底の岩礁がハッキリと確認できました。
海水浴シーズン目前です。当地へお越しの際は胞姫神社へも是非お立ち寄りください☆
米山方面
「米山方面」では、画面左下に木々に囲まれた胞姫神社が見えます。
また、 撮影した日は天気が良くて風もあまりなく、海の透明度が高かったため上輪海水浴場海底の岩礁がハッキリと確認できました。
海水浴シーズン目前です。当地へお越しの際は胞姫神社へも是非お立ち寄りください☆
昨年の秋にこのサイトで紹介しました「鵜川神社の大けやき」(柏崎市新道5127)の冬バージョンです。
(前回記事 http://seconddteam.wp.xdomain.jp/2016/10/03/鵜川神社の大けやき/)
初回訪問した際に感じた「四季それぞれの大けやきを見てみたい」という思いから、訪れる機会をうかがっていいたのですが、今年の冬は雪が少なく今まで行きそびれていました。
しかし、ここに来て3月としては珍しい降雪があり、撮影することができたのでご紹介したいと思います。
案内板です。道路には10㎝ほどの積雪があります。右に進むと飯塚邸、鵜川神社は左へ。
境内入り口・・・奥に見えるのは・・・
どーんと「大けやき」様。しめ縄(?)を新調し厳かな雰囲気を醸し出しつつ貫禄が倍増しています。
境内は一面雪景色でしたー。(画像をクリックすると大きな画面で見られます。)
次回は春、そして夏にもまた訪問したいと思います。(S)
当チームのメンバーが、活動の中で情報を得て資料として入手した「柏崎の文化財」(柏崎市教育委員会発行)で紹介されている『大けやき』が、〈大きな物好き〉な私としては以前から妙に気になっていまして、機会を見て訪れてみたいと思っていました。
【柏崎市の文化財】
さらに柏崎市の名所案内によりますと、、、
国指定文化財:記念物・天然記念物「鵜川神社の大ケヤキ」(昭和5年2月28日指定)
鵜川神社大欅の樹齢は、約1000年といわれ、根まわり約14メートル、目通り約11.5メートル、高さ約20メートルで、地上約3メートル付近で大きな4本の枝に分かれています。直立した主幹の上の部分がありましたが、現在は枯れて腐食し、なくなっています。
記録や調査によると、大正元年9年23日と昭和63年の暴風により、かなりの枝が折れてしまいましたが、全国の欅の中で、その大きさが第8位にランクされています。
また、昭和22年10月に昭和天皇が新潟県を巡幸されたおり、10日から12日にかけて向かいの飯塚邸(秋幸苑と行在所)を宿泊所とされ、この大欅をご覧になられたといわれています。(柏崎市サイト柏崎市名所案内「鵜川神社(うかわじんじゃ)の大欅(おおけやき)」より引用)
“全国の欅の中でその大きさが全国8位”
すごいっ! しかも樹齢1000年!! やはり実物を見に一度は足を運ばなくてはなりませんっ!!!
そんなわけで、先日、秋晴れのなか『大けやき』のある高田地区の鵜川神社(柏崎市新道5127)へ行ってきました。鵜川神社は柏崎駅から国道353号線を高柳方面に6kmほど進み、新道小学校を過ぎて直ぐの左手側にあります。
【案内標識】 【反対側(高柳方面)からの案内標識】
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標識に従い道を曲がるとその先にわかりやすい案内版が設置されていました。
【案内板】
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柏崎を代表する名所『秋幸苑(飯塚邸)』も近くにあります。(この日はTV局のロケ中とのことで、苑内の見学はできませんでした…。飯塚邸へは、後日改めて訪れたいと思います。)
【飯塚邸正門】
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先ほどの案内板から左手側へ進んで行くと、大きなノボリ(?)が見えてきました。
ちょうどお祭りの日だったらしく、背中に『祭』と書かれたはっぴを着た地元の方々が続々と神社に集まってきていました。
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そして、境内へ入ると、、、
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鎮座されておりました! 威風堂々『大けやき』様でございます。 (画像をクリックすると大きな画面でご覧になれます。)
【境内全景】
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【参道入口側より】 【本殿奥側より】
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【本殿と大けやき】
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何と言ったらいいのでしょう?、神々しく・・・壮麗な・・・悠久を感じる・・・んー、どの形容詞で表わしたらよいのか・・・
ただ々、、、圧倒的な存在感です。それでいて、あたり一帯を巻き込むような落ち着きがあって、引き込まれてしまいそうなほどに神秘的です。
本当に見に来て良かったです。とても清々しい気分になりました。
この『大けやき』は、春 / 夏 / 秋 / 冬、季節によって様々に表情を変えていくのでしょう。それぞれの季節にまた訪れたいと思います。(S)
9月28日、チームの活動として、柏崎観光協会様(柏崎市駅前1-1-30)を訪問しました。(柏崎観光協会様のホームページ「ぅわっと!柏崎」)
柏崎観光協会様への訪問は2度目となりますが、「前回の取材時から変更せざるを得なくなった当Dチームの活動の方向性をご報告し、今後について何かアドバイス等をいただけれれば…」というのが今回の趣旨です。
【打ち合わせの様子】
ご対応くださった白川事務局長様、安中様より、たくさんのことをご教授いただきました。詳しくは、今後の活動の中で改めてご報告しようと思っておりますが、“目からうろこ”の情報ばかりです!!(お二人ともお忙しい中本当にありがとうございました。)
そして、柏崎観光協会様発行の「柏崎ROAD便利マップ(局長様直筆!)」を頂戴いたしました。
【柏崎ROAD便利マップ】
各スポットに関しての“豆ちしき”が記載されていたり、無料駐車場の位置やコンビニ等のお店の場所などが示されており、非常に緻密かつ温かみのあるガイドマップとなっております。(本サイトの「各地区ガイドマップ」ページで紹介いたします。)
今回の取材の中で、「シティーセールスを活発に行うには、まず市民みんながセールスパーソンとして育たなければならない。」、「『柏崎には何があるの?』という問いに答えられる若者は少ない。」等、様々なヒントをいただくことができました。
いよいよ活動も佳境に突入です。小さなことでも、一つでも多くの何かしらの提言・成果が残せれば良いなと考えております。(S)
9/11(日)国指定の重要無形文化財である綾子舞現地公開へ行ってまいりました。
当日は晴天にも恵まれ、市内外から1,200人が訪れたとの事。
今年は国指定40周年の節目であり、500年の伝統を誇るまさに柏崎にとって、重要な歴史文化財と言えます。
かつては、4つの集落がそれぞれの芸風を守ってきましたが、明治中期になると途絶えてしまった集落もあり、今では高原田と下野の2つの集落にある座元が先祖伝来の芸能を誇りにし、情熱を燃やして受け継いでいます。
綾子舞と言うと女性の衣装のイメージが強いですが、舞台後方で楽器や歌を担当している方々もいらっしゃいます。囃子方(はやしかた)と呼ばれる方々です。演目によっても楽器や並び順が変わるとも言われています。
当日ですが、綾子舞イベントに合わせまして多くのブース出展があり、柏崎の名産品やおこわ、とん汁などの販売が行われており、来場の皆様それぞれ綾子舞のひと時を楽しまれている様でした。多くのファンに親しまれているのだと感じました。
「柏崎 -かしわざき-」。その名前(地名)の由来をご存知でしょうか? かく言う私は、お恥ずかしながらリーダー塾の研修で初めて知りました(汗) 諸説あるようですが、有力な説として...
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『今から700年ほど昔、鵜川の河口から少し上流のあたりに漁師の船着場がありました。そこから見える向こう岸になんご沢(レンガ坂)、その頂上付近には「大きなかしわの木」がそびえ、遠く海上より手こぎの船でかしわのさきをゆく漁師の大切な目印となっていました。この「かしわの大樹」が柏崎の名前の由来ともいわれています。』(柏崎青年会議所 まちしるべ事業①「かしわの大樹」より)
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そしてもうひとつ、その「かしわ」は、『新しい葉が大きくなるまで古い葉が落ちない』という特徴から、「子孫繁栄を願う縁起物である。」ということを前回の活動の際に(株)カシックス“博学多識”店橋氏よりご教授いただきました。(これが端午の節句にかしわ餅を食べる由来!)
当初、「おぎゃー柏崎 子宝物語」というテーマを掲げ、子授け・安産祈願の「胞姫神社」を中心に据えて観光ツアー化を考えていた当チームとしては放っておけない題材です。チームとしても、もう一度柏崎の出産・子育てに関するスポットや歴史文化を探してみようということになりました。
…というわけで、伝承の残る地に行ってきました。
まずは、柏崎青年会議所さんが40周年事業で設置された、冒頭の由来を伝える「標識」のある西本町の水道橋公園へ
(柏崎JCまちしるべ事業 http://www.kashiwazaki-jc.or.jp/business/machisirube/)
鵜川橋から柏崎駅方面へとイチョウ並木が続いており、左手一帯が公園になっています。(道の向こうに見える建物は柏崎市一の高さを誇る(株)ブルボンさんの本社ビル)
公園内。きれいに整備されています。(右は公園設置の目的や鵜川直線化事業を記したの案内版)
そして、、、ありました!まちしるべの標識!
こちらもきれいな状態で保存されています。なんでもJCの方々が定期的に清掃を行っておられるそう!!
そして、当HPに掲載の「おおすてくてくMAP」で紹介されている「かしわの大樹」跡地へ...
地図にあるポイントへやって来ました。ちょっとした高台になっていて、海から市街地方面に向けてパノラマが広がっています。
鵜川の河口付近がよく見えます。あのあたり、時期になると型のいいハゼが結構釣れるんですよねぇ(笑)
伝承のとおり、ここに「かしわの大樹」があったのであれば、視界を遮るものもないため、海から見たら目立っていたことでしょう!!
それにしても、長年柏崎で暮らしているにもかかわらず地域のことを何も知らない自分の勉強不足さを活動が進むにつれて痛感しています。自分を含め、この活動をとおして多くの方にいろいろな「かしわざき」のことを知っていただけたらいいなと思います。
チームでは当初、「おぎゃー 柏崎子宝物語」というテーマを掲げ、柏崎の子授け・安産にまつわるコンテンツを集約して情報を発信し、観光客を呼び込みつつ、人口減少・少子化に歯止めをかけよう!という活動を行う構想を練っていました。
そんな中で2016.4.2に当サイトのトップ画像に使わせていただいている米山地区の「胞姫神社」(柏崎市大字上輪329-1)をチームで訪れた時の記録です。
国道8号線の胞姫橋に差し掛かったところの封鎖されている道路の一角に車を止め、参道入り口へと進みます。
入り口の案内板には以下の説明があります。
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安産の神として県下に知られる当社は、各地から大勢の参拝者が訪れる。産院での出産が普及する以前、「胞姫さん」に献灯された短いロウソクを貰い受け、出産の際に点せば「産が軽い」とされた。時代は変わっても、安産を祈る切実な思いは胞姫神社への篤い信仰として今も受け継がれている。
胞姫神社の「胞」とは、胞衣(えな:胎児を包む膜や胎盤のこと)を意味する。近世紀には「胞衣姫大明神」とも記された。縁起(天保3年、1832)には、その名の由来を源義経の嫡男出産伝承との関連で説いている。
文治二年(1186)、義経一行は直江津から海路奥州へ下向の折、嵐にあってやむなく当地へ上陸。この時、急に北の方(正室)が産気づき、仮の産所を設けて嫡男亀若丸を出産した。同行の弁慶は無事出産の礼に当地鎮守境内に亀若丸の胞衣を納め、あわせて源氏の氏神である諏訪・八幡の両神を祀った。これが縁起の語る当社の起こりである。
付近には、産所跡の「亀割坂」や弁慶が金剛杖を突いて湧出させた「弁慶の産清水(うぶしみず)」などの地名・遺跡も残る。シロダモやスダジイなど豊かな照葉樹が繁る社叢の向こうには、霊峰・米山が聳えている。
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参道が30mほど続きます。
左手は崖になっていますが、振り返ると「上輪大橋」を一望できる清々しい景観が広がっています。
そして、少し急な階段を登り、、、
本堂に到着しました。境内は何とも厳かなたたずまいです。
この日は神主さまご不在で、残念ながら本殿には入れませんでしたが、付近を散策して落ち着いた雰囲気に癒されてきました。
(後日、神主さまがおられる時にチームメンバーが再訪した際の記録はFacebook ページにあります。)
お参りを済ませまして、案内板にもある別の「義経伝説」にまつわるスポットへと向かいます。
北の方が亀若丸を出産する際、弁慶が金剛杖をついて湧き上がらせたと言われている「弁慶の産水井戸」です。胞姫神社から柏崎方面へ向かって500mほどのところに所在しています。
蓋を開けてみると澄んだ水が湧いていました。しかし、道案内をしていただいた地元の方曰く、「今は水位が下がっている状態」とのことでした。
そして、近くにあるはずのもう一つの「義経伝説」スポットを探して道なき道を進み、急斜面を駆け上がり、断崖絶壁を通り抜けた末に、、、
ありました!「亀若丸誕生の碑」
少し風化が進んでいますが、ここが伝説の生まれた地だと考えると感慨深いものがあります。
視察報告は以上になりますが、米山地区にはまだまだ沢山の歴史・文化財が点在しています。(当サイトに「米山地区お宝探訪マップPart1、Part2」を掲載させていただいています。)
また、米山コミセンさんでは、「観光ガイドさん」のあっせん(料金無料2名から)もされていますので、ご興味のある方は是非ご利用されてみてはいかがでしょうか。
↓かしわざき観光ガイド「米山地区お宝探訪コース」(柏崎市HPより)↓
https://www.city.kashiwazaki.lg.jp/sightseeing/kanko/osusume/documents/yoneyama1.pdf
本日は、Dチームメンバーの活動報告&今後の打ち合わせです。
みんな仕事の疲れも見せずに、柏崎の魅力発信について話し合っています。
少しずつですが、企画が形になってきています!
頑張りますよー(^-^)